アクシオンおよびアクシオン様粒子(ALPs)探索の現状と今後の展望
はじめに
素粒子物理学の標準模型は、自然界の四つの基本的な力のうち、重力を除く三つを高い精度で記述する優れた理論体系です。しかしながら、宇宙の暗黒物質や暗黒エネルギーの存在、ニュートリノ質量、そしてCP対称性の破れに関連する「強CP問題」といった未解決の課題が残されており、標準模型を超える新しい物理の探求が精力的に進められています。
その中でも、特に「強CP問題」の解決策として提唱されたアクシオンは、宇宙の暗黒物質の有力な候補の一つとしても注目されています。さらに、アクシオンの概念を一般化したアクシオン様粒子(Axion-Like Particles, ALPs)もまた、様々な新しい物理モデルにおいてその存在が予測されており、多くの研究機関でその探索が行われています。本稿では、アクシオンおよびALPsの理論的背景から、現在の主要な探索実験、そして今後の展望について専門的な視点から概説いたします。
アクシオンの理論的背景と強CP問題
強CP問題とは、量子色力学(QCD)がCP対称性を破る項を自然に含むにもかかわらず、中性子電気双極子モーメント(nEDM)の実験値が極めて小さい、という観測事実との間の大きな不一致を指します。この矛盾を解決するために、1977年にRoberto PecceiとHelen Quinnによって提唱されたのが、Peccei-Quinn(PQ)機構です。
PQ機構は、QCDラグランジアンに新たなU(1)対称性を導入し、それが自発的に破れることで、アクシオンという新しい擬スカラー粒子が生成されるというものです。アクシオンは、その性質によりQCDのCP破れ項を動的にゼロにすることができます。アクシオンの質量($m_a$)と光子や他の標準模型粒子との結合定数($g_{a\gamma\gamma}$, $g_{aee}$など)は、主にPQ対称性の破れスケール($f_a$)に依存し、非常に軽い質量と弱い結合定数を持つことが予測されます。
宇宙論的な観点からは、アクシオンは初期宇宙において非熱的に生成された後、現在まで安定に存在し、その存在量が宇宙の暗黒物質の大半を説明する可能性が指摘されています。このような「宇宙論的アクシオン」は、その質量が$10^{-22}$ eVから$10^{-6}$ eV程度の範囲にある場合に、暗黒物質として有力な候補となります。
アクシオン様粒子(ALPs)
アクシオンの概念は、より広範な「アクシオン様粒子(ALPs)」へと一般化されています。ALPsは、アクシオンと同様に擬スカラー粒子であり、非常に軽い質量と標準模型粒子との弱い結合を持つことが特徴です。しかし、ALPsは必ずしもQCDの強CP問題を解決するために導入されるわけではなく、超対称性理論や弦理論などの様々な新しい物理モデルにおいて自然に現れる可能性があります。
ALPsは、アクシオンと同様に光子や電子などと結合し、その結合定数と質量はモデルに依存して幅広いパラメータ空間を取り得ます。ALPsもまた、宇宙の暗黒物質を構成する可能性があり、その探索はアクシオン探索と並行して進められています。
アクシオンおよびALPs探索の多様な手法
アクシオンおよびALPsの探索は、その予言される性質(軽い質量、弱い結合)から非常に困難ですが、世界中で様々なアプローチが試みられています。主要な探索手法を以下に示します。
1. レゾナントキャビティ実験(直接探索)
この手法は、アクシオンが外部磁場中で光子に変換される(Primakoff効果)ことを利用します。強力な磁場中に設置されたマイクロ波共振器内で、暗黒物質として存在するアクシオンがマイクロ波光子に変換される現象を検出します。共振器の固有周波数をアクシオンの質量に一致させることで、検出感度を最大化します。
- ADMX (Axion Dark Matter eXperiment):米国ワシントン大学で進められている最も成功した実験の一つであり、特定の質量領域のアクシオン暗黒物質に高い感度を有しています。
- HAYSTAC (Haloscope At Yale Sensitive To Axion CDM):イェール大学を中心とする実験で、ADMXとは異なる技術を用いて高周波数帯の探索を進めています。
- CULTASK (Center for Underground Physics at KNU for Axion Search):韓国で進行中の実験で、中程度の質量領域をターゲットにしています。
これらの実験は、極低温、超伝導磁石、極めてノイズの少ない検出器技術を組み合わせて、宇宙論的アクシオンの探索感度を向上させています。
2. 光の回折・偏向実験(通過型探索)
強力な磁場を通過する光子が、アクシオンに変換され、再度光子に戻る現象(「光が壁を通り抜ける」)を探索します。あるいは、真空中で光子がアクシオンと相互作用することで、光の偏光状態が変化する(二色性・複屈折)現象を探索します。
- CAST (CERN Axion Solar Telescope):太陽から放出されるアクシオンを探索する実験で、太陽の中心で生成されたアクシオンが地球上の検出器で光子に変換されることを観測します。
- IAXO (International Axion Observatory):CASTの次世代計画として提案されており、より大型の超伝導磁石と高感度な検出器を用いて、太陽アクシオン探索の感度を大幅に向上させることを目指しています。
- ALPS II (Any Light Particle Search II):DESY(ドイツ)で進行中の実験で、強力なレーザーと長大な光学キャビティを組み合わせ、非常に微弱なアクシオンへの変換を探索しています。
3. 磁気共鳴実験(CASPEr)
この実験は、アクシオンが電子や核子のスピンと相互作用することを利用します。暗黒物質として存在するアクシオンの振動場が、原子核や電子のスピンを回転させる現象(アクシオンによる核磁気共鳴/電子スピン共鳴)を検出します。
- CASPEr (Cosmic Axion Spin Precession Experiment):非常に軽いアクシオンの探索に特化しており、核スピン共鳴技術を用いてアクシオン暗黒物質の存在を示唆する微弱な信号を検出することを目指しています。
4. 天体物理学・宇宙論的観測(間接探索)
アクシオンやALPsは、恒星の進化、超新星爆発、銀河団のX線・ガンマ線スペクトル、そして宇宙論的パラメータに影響を与える可能性があります。
- 恒星進化への影響: アクシオンが恒星内部で生成され、エネルギーを運び出すことで、恒星の寿命や進化経路に影響を与えることが予測されます(例: 白色矮星の冷却速度、超新星1987Aからのニュートリノバースト)。
- 高エネルギー天体物理学: 銀河団中心部などにおけるX線観測や、遠方銀河からのガンマ線スペクトルを分析することで、光子とALPsの相互変換によるスペクトル形状の変化を探索します。Fermi-LATやH.E.S.S.、CTAなどのガンマ線望遠鏡がこの分野で貢献しています。
現在の成果と残された課題
これまでのアクシオンおよびALPs探索実験は、特定の質量と結合定数の領域において、その存在を排除する重要な制限を与えてきました。例えば、ADMX実験はQCDアクシオンの最も可能性の高い質量範囲の一部を探索し、その領域にアクシオンが存在しないことを示唆する結果を出しています。また、CAST実験や天体物理学的な制約も、アクシオンやALPsのパラメータ空間に厳しい制限を加えています。
しかしながら、アクシオンの理論的予測が許容する広大なパラメータ空間の大部分は未だ探索されておらず、特に高質量側や、より弱い結合定数の領域には、まだ多くの未踏のフロンティアが残されています。これらの領域を探索するためには、検出感度の劇的な向上と新しい検出技術の開発が不可欠です。
今後の展望
アクシオンおよびALPs探索の分野は、新たな技術革新と大規模実験計画によって、今後も飛躍的な進展が期待されています。
- 次世代レゾナントキャビティ実験: ADMXのアップグレードやDM-Radio、TASEHのような新しい概念の実験は、より広範な質量領域と高い感度を目指しています。特に高周波数帯(高質量アクシオン)の探索技術の進展が注目されます。
- 次世代太陽アクシオン望遠鏡: IAXO+のような計画は、CASTの経験を活かし、太陽アクシオン探索の感度をさらに数桁向上させることを目指しており、天体物理学的な制約をさらに強化する可能性があります。
- 通過型探索の進化: ALPS IIの運転開始と、将来的なその発展形は、光が壁を通り抜けるというユニークな現象を通じて、極めて弱い結合を持つALPsの探索に貢献することが期待されます。
- 磁気共鳴実験の進展: CASPEr実験は、超軽量アクシオンの探索において、その特異な検出原理により、他の手法では到達できないパラメータ空間を開拓する可能性を秘めています。
- 多角的アプローチの融合: アクシオン/ALPs探索は、加速器実験、宇宙論的観測、そして従来の暗黒物質直接探索との連携を深めることで、より包括的な理解へと繋がることが期待されます。例えば、LHCや将来の衝突型加速器におけるALPsの生成・崩壊の探索も進められています。
まとめ
アクシオンおよびアクシオン様粒子(ALPs)は、標準模型を超える物理の最も有望な候補の一つであり、特に強CP問題の解決と暗黒物質の謎の解明において重要な役割を果たす可能性があります。様々な理論的背景と、それに対応する多岐にわたる実験的探索手法が開発されており、各実験はそれぞれ異なるパラメータ空間の領域をカバーしています。
これまでの探索によって、アクシオンおよびALPsのパラメータ空間に多くの制約が加えられてきましたが、その広大な探索領域の大部分は未だ未解明です。今後の技術革新と次世代実験計画の推進により、これらの謎の粒子を発見する可能性が大きく広がっています。アクシオン/ALPsの探索は、素粒子物理学と宇宙論における最前線の課題であり、その進展は我々の宇宙に対する理解を深める上で不可欠であると考えられます。